満州のこと
いきなりタイトルで驚きかもしれないですが、我が家は満州無くしては語れない歴史がある。
まずはなぜ満州かを少し書いておこう。
第二次世界大戦前、祖父が一家で北地区から満州に渡ったのがきっかけだ。もともと教師をしていた祖父。国の施策もあり満州発展のために志願したようだ。
勤務先は満州鉄道。いわゆる満鉄だ。
ちょっと余談だが、祖父の長男で父の兄である伯父が一家の歴史を調べているうちに、満州時代の祖父の給与明細のコピーを入手した。何年か前に見せてもらったが、当時としては結構な高給だった。
それを裏付けるかのように、満州で生まれ小学校2年まで過ごした父の記憶と伯父の調査では、満鉄官舎はとても立派で大きく広かったとのこと。
当時の古写真がインターネットでも見られるということで見ると、まさにその通りであった。
ちなみに当時の家族は、祖父母、父の兄4人に姉1人と妹1人と父。そして父から見ると従兄弟などが住む大所帯だった。その家族が住むことができるほどの規模ということを考えると、相当な大きさだ。
父から聞く満州時代のエピソードは数多くあるが、これから書くエピソードなくしては今の家族はない。
それは終戦時、日本へ引き上げる時のこと。
戦時中の日本軍部は対アジアに対しては筆舌に尽くせない行為を繰り返していたこともあり、日本が負けると知ると報復が始まった。
加えて旧ソ連軍が侵攻してきたこともあり、日本人と知られるだけで命の保障はなかった。
近隣の中国人から密告されることも珍しくない中、祖父母たちは密告されずに助かったという。
なぜかというと、まだ平穏なころに近所の方によく食事をお裾分けしていた人がいて、その方が早く逃げるように助言してくれたからだ。
父はそのこともよく覚えていて、その中国人の方は身体か何かに障害があったためか軽蔑されていたようだ。それを祖母がお裾分けをしていたこともあり、恩人と思ってくれていたからだという。
この人がいたからこそ無事に日本へ全員で引き上げができた。そして今の自分がいると思う。