徒然かな?

写真をもとに旅、お出かけを記録しています

3・11を振り返ります

2011年3月11日の東日本大震災から10年。

 

当時の自分を振り返りつつ、今の心境を綴っておきたいと思います。

 

10年前の今日は金曜日でした。

 

仕事で阿佐ヶ谷に営業に出かけて田町の事務所に戻る予定で動いていました。

 

その予定は午後からだったものの、昼食を食べ損ねていたこともあり上司と別行動。

 

遅めの昼食を終え、中央線で東京駅へ向かい、途中下車をしてオアゾ内にある丸善で買い物をしていました。

 

その時に揺れを感じましたが、少しで収まるかと思っていたところに揺れが徐々に強くなりました。

 

すると、高い本棚の上部からホコリが舞い始め、「これは尋常ではない!」と感じたことで外に出ようとしたその時、ようやく収まりました。

 

すぐに東京駅に向かい、田町まで移動しようにも、地震の影響で線路等設備の安全確認が入り電車は止まっていました。

 

しばらくホームで情報を確認したしようにもインターネットは使えません。当然メールも電話も使えず。唯一の頼りはガラケーにあるワンセグだけでした。

 

小さいながらも画面に出てくる字幕や映像で初めて大地震だったことを知りました。

 

このまま東京駅のホームにいても何もできないと思い、ひとまず田町の事務所へ移動することにします。

 

バスならなんとかなるだろうと、田町まで行けるバスのバス停に向かうと、ちょうどバスが出たところを目撃。

 

「これで田町まではなんとか行けそうだな」

 

と思い次のバスを待つこと30分以上。待てどもバスはやって来ません。先程のバスが運行される最後となったようでした。

 

もう歩くしかないと決め、田町の事務所までひたすら歩きました。

 

事務所では先程別れた上司から、「一緒だったら地震前にここに来れたのにな」と言われましたが、まさかこんなことになるとは思いません。

 

ここから定時まで仕事もしつつ、ご近所さんや家族に連絡を試みますが、相変わらず通信はできない状態でした。

 

当日は事務所に泊まり翌日帰宅することにしましたが、ようやく連絡が取れた妹が職場には泊まれないから友達のところまて行って泊まるとのこと。

 

最初は安心したものの、よくよく聞くと友達のところも電車で行くしかないようで、それならお互いの職場が近いので有楽町で合流することにしました。

 

2人とも夕食を食べていなかったので、なんとか入れる居酒屋で始発まで過ごすことにしました。

 

周りは普通に飲み会のノリでしたが、こちらの2人は酒も飲まずによく過ごしたと思います。

 

始発時間になりお互いに自宅へ帰ろうとそれぞれの経路を調べると、JRは動く気配なし。しかし東京メトロと私鉄は動いていました。

 

とりあえず銀座線で渋谷までは一緒に、渋谷からは自分は東横線横浜駅、横浜からはバスに乗ってなんとか朝7時には帰宅できました。妹も渋谷からは順調に帰宅できたとのこと。

 

帰宅した日が土曜日で疲れを取れたのは良かったものの、週明けはまた大変な状況になりました。

 

これはまた別の機会にします。

 

それにしても。

 

10年は過ごしてみるとあっという間です。

変わったこと、変わらずにいること、様々あります。でも確実に考え方は変わりました。

 

当たり前のことがいつまでも続くと思っていてもそうではない。

 

だから今を一生懸命に生きて悔いのないようにしたいと。

 

それは過去にも未来にも目を向けないということではなく、どちらにもしっかりと向き合い生きて行くことです。

 

そのためにも長くなりましたがここに綴っておくことにしました。